このブログで、
当事者の視点から、「主観で問題がなければ、ASD=病気とは違う」
と言っています。
その考えは変わりませんが、無自覚の当事者と関わる立場から見れば、病気と言える部分もあると思うので、今日はその立場から、書きます。
当事者ではなく
周りの視点から見ると、ASD(自閉症やアスペルガーの総称)とは
「客観性の欠如が問題になりやすい認知機能障害」
と言えると思います。
認知機能障害の例
無自覚ASDの認知機能の特徴として、「事実を客観的に見えない」というのが大きいと思います。
主観と客観との差が大きい、と言えます。
それゆえ、
・一方的に長時間喋っていて、周りから変な目で見られていても気づかない
(最後の職場にいたASD男性が特に顕著な例。1〜3時間ほど、一方的に喋っていた)
・子供に問題があっても気づかない
(認知機能が正常な親なら、子供が慢性疲労症候群のようになっていたり、異常に怖がりだったり、爪を噛む癖があったり、不登校になったり、強迫観念が強かったりすると、問題に気付く。
ASDの親は、それを問題だと思えない)
・自分の言動や行動で周りが迷惑していても、それに気付かない。嫌な顔や変な顔をされていても、気付かない
(私の母、過去の私、最後の職場の無自覚ASDたち、など)
・過去の問題/現在の問題を客観的に指摘しても、問題はなかった/ないと言ったりする
(客観的に見ることより、自分の主観を守ることを優先しているので、都合が悪いことは覚えていなかったり、指摘しても認めなかったりする)
・自分がASDだと認めなかったりする
(程度が強いほど、自分=絶対に正しいという認知の偏りがあるので、自分が病気に当てはまると聞いても、認めようとしない)
などといった、認知の問題があります。
本人が主観で問題がなく、誰にも迷惑をかけていないなら病気とは違うと思いますが、
本人が主観で問題を感じていなくても、第三者が迷惑を被っているのなら、その第三者は本人に対して「病気だから仕方ない」と思った方が、楽かと思います。
その、第三者の「あの人は病気だから仕方ない」という視点を本人に押し付けなければ、良いのでは、と思います。
(病気だから治せとか、言動を変えろというのは、人権侵害にあたるので、違うと思います。
自分が気に入らない性格の人がいて、わざわざ「その性格を変えろ」と言わないのと同じです。
人種の違いのようなもので、嫌なら離れるしかないと思います)
おわりに
無自覚度が強く、自覚して対処する気もない人たちは、
「自分に都合よく現象を解釈して、それを守るために生きている」ように見えます。
前提は人それぞれですが、
・自分は愛されていて全ての出来事は自分のためにある
・自分は嫌われていて全ての人は自分に悪意を持って接してくる
・自分は仕事を完璧にこなさなければならない、だから人よりも働いて、人よりも真剣に働かねばならない
など、独自の偏った視点を前提に周りを見ていて、その結果、主観と客観の乖離が生まれるのだと思います。
それをどうするかは個人の自由ですが、自覚して対処したら、客観的な問題は減ります。
(だからといって、自分自身の言動や行動の確認のために、ビデオカメラで撮影するぐらい、客観性にこだわらなくて良いと、私は思いますが…)
客観的に正しい人間であるために生きているわけではないので、
他者の目を意識して、「客観的に変ではないこと」を目的に生きても仕方ありませんが、
主観で問題を感じていたり、人間関係に問題を感じているなら、
主観と客観の差が大きいということを自覚して、認知と行動の修正などを行えば、良いと思います。
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原因については、こちらの記事の原因について、を参考にしてください
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